フェイクニュース
父がLINEで「麻生元総理が殺害されたという話は知ってる?」と送ってきた。
ここは電波が悪い。しかもうちの職場のPCでは、インターネットに接続できない。本当なら、ニュースアプリが通知がありそうだが、それも無かった。
10分後、「デマだった」と来た。
帰ってから、どこでそのデマを見たのか聞いてみた。
内容は覚えているのに、どこで見たのかが思い出せないという。ただ、AIに聞いて、デマだと気づいたのだという。少し前まで、父はAIの説明を聞くのを嫌がっていた。無理やり教えてよかった、と思ったのだが、どうだろう。
今回のように、大きな出来事の真偽なら、AIはたぶん当てる。ただ、どこで間違えるかは決まっていない。AIは間違える時も、同じ調子で答える。父はそれを疑えるだろうか。そこが少し気になっている。
父に無理に教えたわけ
ガラケーの頃、いずれ乗り換える日も来るだろうと、両親にスマホを渡した。父は新しいおもちゃを手に入れたように遊んでいた。母はガラケーと同じようにしか使わなかった。
機能の多い家電を前にした時の距離の取り方に近い、と言えばいいだろうか。私も炊飯器やトースターに何ができるのか、いつも使う分しか知らない。たぶんあれと同じことだと思う。
母は耳が悪く、電話も難しい。だからLINEだけは覚えてほしかった。
結局、覚えてもらえなかった。
私の教え方が悪かったのか。それとも「できた」という手応えのないまま終わってしまったのか。音で知らせる仕組みは、そもそも母には届いていなかったのかもしれない。
今では加齢性難聴もひどく、教えるのは困難な状態である。今でも後悔が残っている。
父は本をよく読む。ただ、新しい用語の出てくる本は読みづらくなったという。だから昔の本を読む。父の年で新しいものを覚えるのは面倒だろう、というのはわかる。それでも無理やり、AIの使い方を教えた。
母の時がそうだった。PCで躓き、スマホで躓き、LINEでも躓いた。一段目で止まると、次の段でも止まる気がしてた。だから軽くでも知っておいて欲しいと思った。
余計なお世話
時々、30代でAIを使ったことがない、という人に会う。
母が使えなかったのも年のせいではなく、面白がる入口を作れなかったのかもしれない。たまに仕事で困った話を聞くと、こういう風に使うと面白いですよ、と意識的に答えている。最近は質問を受けることも増えた。
余計なお世話なのはわかっている。ただ、僕らもいずれ老人になる。好奇心だけは、誰かに渡しておきたいと思っている。
なんだかまとまらない話になった。